The New Hippies - ザ・ニュー・ヒッピーズ -

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アラフィフ - 幸せ

おはようございます、アラフィフのRiekoです。

もうすぐ2019年11月も終わろうとしています。

寒くなると恒例の朝ぶろに入り、本を読みながら勉強し、今日という日について考えます。

私はこれまでに何度となく“失うものがない”状況に陥りました。

そしてそのたびに毎回思うのは、“あ~なんて幸せなんだろう。”ということです。

何も失うものがない時って、一番大切なものが浮かび上がるんです。

アスペ主人の寝顔や、子供たちの笑顔。

私は商売人の家に生まれ、自分自身も16歳の頃から仕事をし続けてきましたから、商売というものがどういうものかを知っています。

祖母がいつも言っていました。「売れた日は嬉しいけど、売れない日は眠れない」と。

祖父母は鍋ひとつと娘一人をおんぶしながら起業した人です。そこからコツコツと働き、質素に生き、やがて3階建てのビルを買い、ゴルフ場の真横に豪邸を建てた人です。祖父は69歳でこの世を去ってしまいましたが、祖母は90歳まで現役で、96歳の今でも存命です。

5人姉妹の長女だった母が事業を継ぎ、父が社長を継ぎました。時はバブル。商売はどんどん勢いを増し、リスクを恐れない父と商売人の母は海賊の船長の様に200名になった従業員を先導して20店舗で30億近い売り上げを作り上げてゆきました。

マンションを3軒購入し、サウナに檜風呂、ウォーターベッドに巨大なTV。いつもどこそこの社長さん達とパーティ三昧。海外でも行った先で土地まで購入し、別荘も持っていました。二人にとってそれは贅沢ではない程の売上だったことは間違いないのですが、祖母はいつも“贅沢して”と批判し続けていました。

 

そしてバブルが終焉すると同時に売り上げは急降下し、父と母の商売も家も失われてゆく姿を目の当たりにしました。

その時二人に残っていたものは何だったのか。

弟に立ててもらった家と、夫婦。あんなにも仲の良かった夫婦は父の長年の浮気でただの“同居人”となってしまい、お互いが“修復しよう”という気持ちを忘れてしまっていました。毎日一緒にいましたが、母は60代で起業し、父は再起をあきらめていました。

身を粉にして働く母は、借金の催促の電話を死ぬ間際まで受けていました。母は、皮肉にも69歳という母の大好きだった祖父と同じ年齢で他界してしまいました。

 

私の主人は14歳という多感な時に父親を亡くしています。子供が産まれても父親の自覚もなく、“父親”がどういうものかも知らないまま“家族”を持っていましたが、やがて彼は“家族”に集中するようになりました。

彼はアスペで多動性かもしれませんが、私を一番大切にしてくれている人であり、私にとっても一番大切な人です。子供達は私たち夫婦が仲良ければそれで幸せそうにしています。笑顔が最高で純粋な気持ちを持ち、本当に優しい子供達です。

 

商売をしていると多種多様な人に出会います。人の人生にも深く関わり、多くの人間関係、人間模様を見てきました。

 

だからこそ、全てを失った瞬間にいつも、目の前ににある“幸せ”を感じれることは何よりの励みになります。笑えない状況でも笑顔でいれるし、先の見えない不安の中で顔を上げて前向きに進む勇気を持ち続けることができます。

 

人生を大切に生きること、一日一日を取り返しがつかない貴重な瞬間だと認識して過ごすこと、何が一番大切かを常に見極めながら時を過ごすこと、これが“幸せ”な人生を送るコツで、最後に“後悔することのない人生”を全うできる生き方だと思います。

 

 

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